日本スリッター工業のあゆみ
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業界の先駆者として歩みを始めてから半世紀以上。
日本のスリット加工の発展とともに、日本のものづくりを支え続けています。
日本スリッター工業のホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。
当社は創業以来、スリッター委託加工の専門集団として、日本のモノづくり産業を足元から支えてまいりました。ロール状の素材を、お客様の求める幅へと正確に裁断・巻き取る。一見シンプルなこの工程には、素材の厚みや硬さ、伸縮性に応じた刃の選定、張力(テンション)の絶妙なコントロールなど、一朝一夕では真似できない「職人の技」と「高度なテクノロジー」が詰まっています。
いま、時代は「大量生産」から「持続可能な循環型社会」へとシフトしています。これに伴い、お客様が扱う素材もバイオマスフィルムや再生PET、極薄素材、紙複合素材などへと多様化し、スリット加工の難易度はかつてないほど高まっています。
変形しやすい素材、傷つきやすい素材、引き裂き強度の弱い素材――。これら高難度素材に対しても、当社が培ってきた高精度な加工技術があれば、歪みやシワなく、美しい巻き姿で仕上げることが可能です。
私たちの誇る「技術力」は、単に美しい製品を作るためだけのものではありません。加工時のマテリアルロス(端材)を極限まで抑え、お客様の大切な材料の歩留まりを最大化すること。これこそが、資源を大切にする循環型社会において、私たちが果たせる最大の貢献であると確信しています。
「日本スリッター工業に頼めば、どんな素材も美しく切ってくれる」 その信頼にこれからも応え続けるため、私たちは技術を研ぎ澄まし、お客様のサステナブルなモノづくりに貢献してまいります。
代表取締役 高橋 秀太
一巻入魂
スリット加工したひと巻き、ひと巻きに魂を込める。
それが、日本スリッター工業の理念である「一巻入魂」です。
高品質で安定した製品をお届けすることは、ものづくり企業としての当然の責任です。
その上で私たちは、高度化・多様化・複雑化するお客様のニーズに向き合い、
常に最適な加工を追求し、期待を超える製品をお届けすることをめざしています。
設備体制といったハード面の充実はもちろん、社員一人ひとりが最高のパフォーマンスを発揮できる
環境・仕組みづくりにも力を注ぎ、「魂」が宿るものづくりを大切にしています。
1959
1959年(創業)
日本スリッター工業の歩みは、1959年(昭和34年)、一つの偶然の出会いから始まりました。
創業者である高橋一太(以下、高橋)は、当時、生菓子の製造販売を営んでいました。そんなある日、滋賀県のあるバス停の前を通りかかった高橋は、多くの人がバスを待つ光景を目にします。京都方面へ向かう途中だった高橋は、「どなたか乗られますか」と声をかけました。
突然の申し出に戸惑う人々の中、一人の紳士が「では、お願いします」と乗車されました。道中で交わされた会話は、次のようなものでした。
「今、西ドイツでスリット機(ロール巻取裁断機)が大ブーム。布でも紙でも、正確かつスピーディーに大量生産できる。日本でも早くこの機械をつくり、産業界を発展させ、日本の資材に大きな改革を起こしたい。」
高橋は、その話に強い印象を受けました。
数日後、高橋がその紳士を訪ねると、そこは株式会社西村製作所でした。西村社長、そして前述の紳士である遠藤技術部長と3人でスリット機について語り合う中で、高橋はその熱意に深く心を動かされます。生菓子製造販売の将来に限界を感じていたこともあり、スリット加工の会社を立ち上げることを決意しました。
こうして同年7月、待望のスリット機を開発し、日本スリッター工業株式会社の前身となる「朋睦スリッター」を設立。シートメーカー、機械メーカー、そしてスリット技術そのものも、まだ発展途上の時代でした。失敗を繰り返しながらも、一つひとつ経験とノウハウを蓄積していきました。
| 昭和34年(1959年)7月 | 京都市内にて朋睦スリッター加工所創立 |
|---|
1960
1960年~
昭和37年(1962年)1月には高槻市に新たな工場を設立し、社名を「日本スリッター工業株式会社」へ変更しました。さらに2年後には、ラミネートフィルムを中心に事業を拡大し、スリッター機も20台へと増設。昭和40年(1965年)頃になると、業界関係者の間で注目を集め、経営者や技術者による工場見学が相次ぐようになりました。
見学者は国内にとどまらず、アメリカ、旧ソ連、フィリピン、タイ、シンガポール、台湾、韓国など、海外からも数多く訪れました。
設立以来、苦楽を共にしてきた従業員たちも、技術やノウハウを着実に蓄積し、やがて独立する者も多く現れました。名古屋に3社、岐阜に2社、滋賀に3社、京都に8社。業界の発展と社会への貢献を志して歩み始めたこれらの企業が、現在もそれぞれの地で事業を続けていることは、当社にとって大きな誇りです。
| 昭和37年(1962年)1月 | 日本スリッター工業株式会社に社名変更 業務拡大のため高槻工場設立 |
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1970
1970年~
昭和50年(1975年)からは、ポリエステルフィルムや硬質塩ビシートの需要が大きく拡大しました。特に、医薬品用PTP包装や一般成型用ブリスターパック向けの塩ビ分野が急成長し、塩ビ製品だけでも月産1,500トンをこなせるまでに生産体制を拡大しました。
| 昭和48年(1973年)1月 | 業務拡大のため米原工場設立 |
|---|---|
| 昭和50年(1975年)7月 | 業務拡大のため米原工場を長浜工場に移転 |
1980
1980年~
昭和60年(1985年)頃からは、キャリアテープやTABテープ、液晶関連製品、カーボンラッピングテープなどの分野で、より高精度・高品質なスリット加工が求められるようになりました。また、アクリルシート、フッ素フィルム、ポリカーボネート、ポリイミドフィルムなど、高品質・高付加価値な製品の取り扱いも増えはじめました。こうした新たなお客様のニーズや製品の変化にも柔軟に対応し、日本スリッター工業は常にスリット加工の最前線を走り続けてきました。
| 昭和59年(1984年)6月 | 本社工場を京都工場から高槻工場に移転 |
|---|---|
| 昭和63年(1988年)4月 | 業務拡大のため東大阪工場設立 |
| 平成9年(1997年)7月 | 東大阪市総合開発のため東大阪工場を閉鎖し高槻工場に集約 |
| 平成11年(1999年)1月 | 業務拡大のため高槻工場を現在地(大冠町)に移転 |
| 平成11年(1999年)10月 | 取締役会長に高橋一太、代表取締役に高橋秀太が就任 |
| 平成19年(2007年)3月 | 経済産業省のものづくり日本大賞に高槻市の推薦により応募 |
| 平成19年(2007年)5月 | 中小企業庁の経営革新計画の申請・承認 |
| 平成31年(2019年)2月 | レーザー式印字機を導入(紙管への印字対応) |
2020
2020年~現在
これまでモノづくり社会は、大量生産・大量消費によって豊かな生活を築いてきました。しかし現代、私たちに求められているのは、限られた資源を未来へとつなぐ「循環型社会」へのシフトです。
当社は、スリッター委託加工のプロフェッショナルとして、この大きな変革に技術で貢献します。
次世代型太陽電池やバッテリー用のフィルム、バイオマスや生分解型などの環境配慮型の新素材や再生フィルムなど、加工難易度の高い素材に対しても、培ってきた高度なスリット技術で確実に対応。マテリアルロスの最小化を追求し、お客様のサステナブルなモノづくりを支える最適なパートナーであり続けます。
「ただ切る」だけではない。資源の価値を最大化し、未来の地球環境を守るスリッター加工へ。私たちは挑戦を続けてまいります。
| 令和4年(2022年)10月 | 大阪ものづくり優良企業賞を受賞、大阪府『匠企業』に認定 |
|---|---|
| 令和5年(2023年)3月 | セミナー開催(フィルム/シートの巻取り) 主催:㈱R&D支援センター |
| 令和6年(2024年)4月 | セミナー開催(スリッター加工における応用、オプション) 主催:㈱R&D支援センター |
| 令和6年(2024年)8月 | セミナー開催(スリッター加工における応用、オプション) 主催:㈱技術情報協会 |
| 令和6年(2024年)9月 | 大型紙管自動切断機を導入 |
| 令和7年(2025年)1月 | ガラス繊維対応のブースを設置し、スリットを開始 |
| 令和7年(2025年)6月 | セミナー開催(スリッター加工技術) 主催:㈱R&D支援センター |
| 令和7年(2025年)6月 | 専門書籍への寄稿(ウェブハンドリング、Roll to Rollを利用した 生産技術とトラブル対策 ISBN:978-4-86798-078-1)“スリッター加工におけるトラブルとスリッター加工ロス低減策”のパートを執筆 |
| 令和7年(2025年)6月 | 高槻市主催「節電・省エネ優秀賞」受賞 |
| 令和7年(2025年)8月 | エコアクション21認証を7年連続で取得 |
| 令和8年(2026年)7月 | インクジェット式印字機を導入(紙管への高速印字対応) |
| 令和8年(2026年)8月 | セミナー開催(スリッター加工技術の基礎と応用)主催:㈱R&D支援センター |
| 令和8年(2026年)8月 | クリーンブースの導入(クラス10,000) |